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足立区少年

​その

論理と情熱

​足立区少年の発見

 “足立区少年”の5文字を初めて目にしたのは、ビートたけし著『みんなゴミだった』の目次を開いたときだった。手もとにある単行本の奥付の初版年月日は1984年10月15日とある。わたしが手にしているのは三刷1984年11月20日と記されたもので、いつ購入したかの正確な記憶はないが、80年代の半ばであったことは確かだ。この本には、ビートたけしの自伝的エピソードがお笑いネタとして表現されているのだけれど、本書が出た3年後、足立区綾瀬で決してお笑いネタにできない凄惨な事件がおこる。17歳の少年グループによる猥褻、誘拐、略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件。通称、女子高生コンクリート詰め事件(1988年1月〜1989年1月)である。決してお笑いへと変換することのできないできごとによって、たけしの足立区ネタは影をひそめ、足立区少年の5文字は、ある根源的な“汚名”としてのアウラを帯びるようになった。

​ そもそも足立区は江戸市中に主食を供給する豊かな米どころとして発展してきた場所だった。その広大な田園地帯が急激な変貌をとげたのは、戦後の農地解放と高度成長にともなう拙速な宅地化の過程においてである。足立区には江戸時代に施行された身分制度(近世賎民制)のような歴史的ルーツをもつ伝統的被差別民は存在しない。だからマイルドな被差別エリアとしての足立区のルーツはきわめて浅く、それは漫才ブームの前夜、ツービートの差別ネタに、その発祥をもとめても、あながちハズしてはいないのではないかとおもうのだ。そう、足立区少年はビートたけしによって発見され、綾瀬の殺人事件によってその可能性を絶息させられた。

 

 足立区少年の5文字は、この事件の忌まわしさから逃れることはできない。

※追記 足立区を代表する唯一の文学作品、北野武 著『たけしくん、ハイ !』の初版は1984年5月1日。足立区島根の貧しい家庭に育った、たけし少年の掛けがえのない思い出と成長の物語は、すべての足立区少年の希望の物語でもあった。

斬って血の出る根拠地幻想

 中上健次の、『岬』『枯木灘』『地の果て至上の時』の三部にわたる物語は、路地の消滅とともに完結するのだけれど、秋幸は生きつづけて、そのゆくえの果てを読者に思いえがかせることを重く強いる力をひそませて、今もあなたに読まれる時を待っている。優れた文学作品は、このように時空を超えて待機している、といえる。そして、このテクストの力の作動は血と肉と骨に作用して心をゆさぶり続ける特別なものとしてある。路地を失うことは肉体を失うことにひとしいから。肉体を失えばそれは、ふわふわした観念としての実体のない亡霊のようなものになってしまう。“路地はどこにでもある”と言挙げした時、路地はある抽象化された亡霊でしかなくなっている。観念化された亡霊に欠落しているのは固有の地名に根ざした霊威にほかならない。路地のマルチチュードを示唆するオリュウノオバの言葉は果かない憧れの歌にとどまるだけなのだ。まぎれもなく足立区は、“路地”であり“南部”であり歴史と神話が交錯する準周縁である。だが、足立区は足立区の地名においてざわめくのである。そのざわめきは一回きりの自然と共にある肉体の歌なのだ。真に反文学的な拠点として流血さえも辞さない生存の根拠地として。

 生前使われていた吉本隆明の書斎の写真は巷間に広まっている。その写真を子細に見ると、ある土産物が目につく。それは三度笠のミニチュアなのだが、そこには国定忠治としたためられている。吉本隆明が国定忠治や江戸期の俠客について何かを書き残していたかどうかは寡聞にして知らない。だが、彼の書斎のこの三度笠のミニチュアは、どこか意味深長なおもむきがして気になる。吉本が国定忠治に自立の理想型を見出していたのではないかという妄想がわいてくるのである。俠客にとっての最高のライセンスは、生まれ育ったその土地の名を自らの姓として名のることであり、またその呼び名が人口に膾炙して倦むことがない状況としてある。たとえば国定村の長岡忠治。清水港の山本長五郎。そこにおいて国定忠治という一個の肉体は土地の霊威とともに生成する。それは時として善悪を超えた荒ぶる土着神としての様相をあらわにするのだが、力の思想と共にある自由は、そのリスクと引きかえに時代状況を途轍もなく変成させもする。

 いわばアーティスト(技術者)としてのダイナミズムを今ここに宿すのである。

念彼少年力

 速度をコントロールする力を、もっとも大切な力のひとつだと仮定する。

 

  いまも、ジムはウィルと肩をならべていくために、ゆっくり走り、

  ウィルはジムにおくれまいとして懸命に走っていた。

 

             『何かが道をやってくる』レイ・ブラッドベリ

 

 少年時代、友だちのために駆け足の速度をコントロールしたことはなかっただろうか。少なくともわたしにはある。仲間がついてこれる速さで、ともに肩をならべてゆけるように。では、その力(感覚)は、わたしのどこから湧きでてきたのか。それは、少年同士の素顔と素顔の関係のなかか醸成された何かだったのではないか。死というものの作用を受けて、わたしたちは並走することができた。他者しかいない世界を、認知よりも深い魂のレセプターで解析しながら。

​ 少年のこの力を、いまここに必要とする。

​サイエンスファンタジーとしての

ヴァルネラビリティ

 ヴァルネラビリティという概念がある。「可傷性」と訳されるこの言葉はホロコースト・サヴァイヴァーであるユダヤ人哲学者、エマニュエル・レヴィナスによる発語である。かんたんに言ってしまえば、他者の傷に傷つく。ということである。しかしそれは他者の痛みを自らの痛みとして感じとるということではない。レヴィナスの考える倫理主体はカントの実践理性を超えて、「責任」の在り処を知性にもとめない。もちろん、道徳概念とも認識論とも無縁の場所で、あなたとわたしの「可傷性」は連帯の風のなかに黙ってつっ立っているのだ。そこは「自由」の広野だ。だから例えば、ある月の美しい夜に、ある少年二人の左の薬指が同時に震えだすという事象があったとする。それは、ある計り知れない予期の顕現としてあり、そのメカニズムの核にはヴァルネラビリティがあるとい空想。サイエンスファンタジーとしてのヴァルネラビリティ。足立区少年はヴァルネラビリティの底から吹きすさぶ連帯の風のなかをチャリンコのペダルを全力で踏み込みながら、ウィルと肩を並べて走っている。

走れ、走れ

​ では、足立区少年はなにをするのか。年寄りと女こどものために走るのである。江戸の町火消しが火事場に向かって走ったように。“世のため人のため”というコンセンサスが死滅した現在、それは、意志も善意もない絶対的他律性としての自然運動としての走行である。そしてこの走行は、あの浅田彰が80年代にアジテートした“逃走”でもある。なにからの逃走か ? 

もちろん、商品と労働からの逃走である。

 足立区少年のフラッグはヴァルネラブルな連帯の風に吹かれて、

 消せない傷とともにはためいている。

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